山田純大さんは『水戸黄門』(29・30・31部)渥美格之進(格さん)役や半沢直樹、相棒などに出演している俳優さんです。
10年の歳月をかけて『命のビザを繋いだ男〜小辻節三とユダヤ難民〜』を書き上げられました。

昨日は、2015年映画化が決定したので
映画化の意義と制作資金協力のために、
アクティブ・ブレイン協会会長 小田全宏さんとのダブル講演会が岡山でありました。
日本を取り巻く情勢も、また日本の社会 においても混迷の真っ只中にあります。
今だからこそ、私たち日本人の在り方を問い直す時でもあります。
日本文化の 原点を知ると共に日本人としての誇りと使命についてお話がありますとのこと。
映画化の意義として日本の真髄を小田全宏さんが熱く語り、山田純大さんが小辻節三の取材についてなど裏話も含め熱く語られました。
講演会は、小田全宏さんは日本の真髄(`・д・ノノ゙☆パチパチのお話からスタート。
「天照大神」これどう読みますか?
「てんてるだいじん」「違うよ!てんしょうだいじん」なんていう会話が大学生の間あるなんて話を枕に、天皇の誕生までの話が続きます。
古事記をあんなに面白く講談風に語られたら、日本の神話、「古事記」「日本書紀」を読んでみようかと思ってしまいます。
そして、戦争の話。
左翼でもなく、右翼でもなく、「なかよく」
アジアの人たちが手を繋いでなかよく、平和な状態を作り出さない大変なことになるでしょう。
石原さんは日本の方が軍備がすごいと言っているが、中国は核兵器を持っている。中国が本気になれば、日本は一瞬で潰されてしまいます。
ここ10年で中国、韓国との関係を修復しないと大変なことになるだろうとのこと。
いたく同感します。
そこで参考になる話を続けられました。
戦後、昭和天皇は、マッカーサーを訪ね会談しました。
どうせ命乞いをするだろうと思っていたマッカーサーは、
戦争の全責任は自分に有り、自分は絞首刑にしてくれればいいが、
苦しんでいる全国津々浦々の国民を救って欲しいと願い出た昭和天皇の態度に感銘を受け、
「戦犯天皇」に対するマッカーサーの考え方をまったく変えることになりました。
代々天皇は国民と国の安寧を祈ることだけをのぞみとし、無私で生きてきた。
「無私の精神」は東日本大震災の時の映像で、整然と順番を待ち、年寄りや子供をいたわる日本人の態度を見た外国の人々にも感動を与えた。
元来、日本人のDNAには「無私の精神」が息づいてきている。
第二次世界大戦で日本は、アジアの国々を侵略したことは大きな過ちです。
過ちは潔く謝り、日本人の心情を知っていただき、みんななかよくしたいものです。
そのためにも、今まで語られてこなかった「日本人の誇り」を世界中の多くの人に知っていただき、私たちも世界平和に貢献していく使命を果たしていきたいものです。
この映画を通して、世界に向けてより多くの人に小辻節三を知ってもらいたいという山田純大さんの願いは、きっと世界平和に繋いでくれると思いました。
続いて、山田純大さんの小辻節三に対する熱い想い、平和を願う強い思いを感じるお話を伺う事ができました。
http://www.voiceblog.jp/activeyumekoza/?il=10&io=10このラジオでゲストの山田純大さんに小田全宏さんが「命のビザを繋いだ男」の映画化を提案したそうです。
ラジオを聞くと、10年に及ぶ取材で書き上げた小辻節三とユダヤ難民のことがよくわかります。
このラジオでの小田さんの提案から、「命のビザを繋いだ男」(仮称)の映画化が決定し、映画化の意義と製作資金の協力をお願いするこの度の講演会になったそうです。
山田純大さんのお話
「命のビザを繋いだ男」を出版させていただきました。この本は小辻節三という男の人生を追ったものです。
皆さん、リトアニアの大使 杉原千畝さんはご存知かと思います。戦前に6千人のユダヤ人に「命のビザ」を発行し、ナチスから日本に逃がしたという有名な話です。
私はこの話を聞いて、学生時代から疑問に思っていたことがありました。
杉原さんが送り手であれば、日本での受け手は誰であったのか、ということです。
この時に発行されたビザは長いもので10日、中には3日というものがありました。このビザはあくまで日本を通過して良いというもので、滞在しても良いというものではありませんでした。ユダヤ人たちは、その短い時間に次の国を見つけて出国しなければならないのですが、実際にはそんな期間では不可能なことだったのです。
そこでユダヤ人のためにビザを延長し、安全に次の国まで送り出した男が小辻なのです。
小辻の情報は図書館やインターネット上にもほとんどなく、調査は大変苦労しました。
調査を進めていくと、ユダヤ人のマーヴィン・トケイヤー氏の本の中に3行ほど小辻に関する記述があり、そこには小辻の生前をよく知っていること、彼の死後、遺体を鎌倉からエルサレムまで運んだのが自分であるという記載があったのです。
私は、トケイヤー氏となんとかコンタクトを取りたいと思っていました。偶然にも大学時代の友人の父親がトケイヤー氏の友人だったのです。
早速ニューヨークまで、会いに行くことになりました。彼は、小辻のことを一番知っているとのことでいろいろな話をしてくれました。特に印象に残った話は
「民間人なのに一銭も取らずに命がけでユダヤ人を助けたんだ。そして、自慢しないで死んでいった。だからユダヤ人の中で小辻はヒーローではない、スーパーヒーローなんだ。」私は、鳥肌が立ちました。
彼は、この先調査を続けるのであればと、鎌倉に住んでいるメリーさんとジュリーさんという娘さんたちの連絡先を教えてくれたのです。早速ホテルから連絡を取ったのですが、「そっとしておいてほしい」と電話を切られてしまいました。
帰国後、悩みを知り合いの弁護士に話したところ、2 ヵ月かけて説得してくださり、やっと会うことが出来ました。
しかし、実際にお会いすると何を話して良いかわからなくなってしまいました。
それは、小辻さん一家が当時のドイツと日本の意に反してユダヤ人を救ったので、学校で非国民としていじめられたり家を盗聴されるなど、とにかく監視し続けられていたのです。そのため、お二人は今でも小さなアパートで、二人だけで暮らしており、住所も非公開として私書箱でやり取りをしているのです。何を話して良いかわからないなか、少しずつ話をしてくれるようになりました。娘さんたちは、帰り際に小辻が生前に話していてくれたことを私に語ってくれました。「百年以内に誰か自分のことをわかってくれる人が現れるであろう」ということです。これを聞いて自分はその役割を果たさないといけない男だと勝手に思ってしまいました。
小辻はワンマン、勉強好き、無口で温かく正義感のある人物だとわかってきました。 1930 年代中ごろ、満鉄の副総裁である松岡洋介の右腕として赴任しています。当時上海には 2 万人のユダヤ人が住んでおり、軍部との間に様々なトラブルが起こることも多く、松岡は、ユダヤ人に好意を持ってもらえばアメリカとの戦争も回避されるだろうと「フグ作戦」を実行するために、能力をかわれ小辻を招聘したのです。この時、ユダヤ人と日本人の間で第 3 回極東会議がありました。その際に小辻は、1000 人の聴衆の前でヘブライ語によるスピーチをしています。その内容は古典的、詩的であったためにユダヤ人でも分かりにくいスピーチでしたが、極東にこのようなスピーチができる人がいたということで大いに感動を誘いました。このニュースは世界中のユダヤ社会に伝わり、小辻の名前はユダヤ人の中で広まっていきます。1 年後松岡の帰国とともに小辻も帰国するのですが、そのころから、ユダヤ難民が本格的に日本に流入してきます。彼らの頭の中には、へブライ語を使える日本人としてユダヤ世界で有名になっていた小辻の名前が浮かび、助けてほしいと手紙を書くことになります。小辻も当時外務大臣になっていた松岡を訪ね、策を請い、国務大臣の立場ではできないが個人的にと策を授けられて、様々な方法で彼らを助けていくことになるのですが、その内容は本にありますので是非読んでください(笑い)。
小辻のことで、私がとても大事にしたいところは、すべてのユダヤ人を送り出した後に彼が言ったことです。
「苦境に立たされているユダヤ難民に対する日本の善意は自慢に値するものではない。しかし、ナチスから圧力をかけられていた当時の日本であったにもかかわらず、ユダヤ難民が無事に日本を通過できたことは喜ばしいことであった」
この話を、お世話になっている小田全宏先生に話したところ映画化の話になりました。この映画を通して、世界に向けてより多くの人に小辻節三を知ってもらいたいと思っています。
そしてこんな話も飛び出しました。
山田 純大さんは、強く望むと叶う事が多いそうです。
例えば、雑誌の表紙を飾っていた可愛いモデルさん。会いたいなと思っていたら3年後に会えた。
山田純大さんが、大学生の頃、新進気鋭の若き指導者として大統領になったクリントン氏を研究するクラスがあって、いつか会いたいと思っていたら、休暇で戻っていたハワイのピザ屋さんで、偶然にもクリントン大統領一家がとなりの席に座り、お会計をしようと店を出るのも同じ時間になり、握手をしてもらった瞬間を4時がTVニュースに流れたのだそうです。
その他にも、ブッシュ氏が大学の卒業式のゲストだったそうです。
シンドラーのリストの監督、あのスピルバーグとも渡辺謙さんの招きでお会いすることができたそうです。
今回は強く望んでいた「命のビザを繋いだ男」の映画化も決まり、アジアの人々と仲良くてを繋ぎ、世界平和に貢献でき、アカデミー賞もひっくるめて、ぜひぜひ叶いますように!と思った次第です。

ご著書を購入し、サインを頂き、記念撮影をしました。
昨日は、本当にいい講演会でした

