タバコとオートバイが好きだった夫が
2月3日に亡くなって、昨日、四十九日の法要が終わりました。

死因は肺線種癌から膵臓、胆管、脳への転移によるものです。
昨年の9月末、沖縄の知事選の応援の帰り、神戸空港へ迎えに来てくれた夫が「手が動きにくいので脳梗塞かと思って病院に行ってらどうも脳腫瘍らしいわ。家族の人と一緒に来てください言うてるねん」「えっ、なに?大丈夫?・・・」
次の日病院で詳しくMRI検査をし、お医者さんから「脳に20個くらい転移してますね。手術もできませんのでポーアイの低侵襲がんセンターを紹介しますのですぐ行ってください」とのこと。
神戸低侵襲がんセンターに行って、治療方針を決めるために癌の原発がどこか、検査をするのと、とりあえず、脳は放射線とステロイドで炎症を抑えようということになりました。
10月2日から16日までの平日10日間、通院で放射線治療、大容量のステロイドで動きにくかった手や足が元通り動くようになったので喜んでいたのですが、10月28日にけいれん発作で神戸大学に緊急入院。たまたま神戸大学で次の日に膵臓の細胞検査を受ける予定だったのでそのまま入院し検査もしましたが入院が嫌いな夫は早く帰りたいので11月3日には退院。
しかし、退院してからすごくしんどそうなので、予定の診察日前に低侵襲の主治医の先生に相談し診察してもらったら胆管が詰まって肝臓の数値がびっくりするほど上がっているのですぐ入院し、ステントを入れることになりました。
これで一命はとりとめたのですが、神戸大学で採った細胞診の検体が少なくってもう一度取らないと癌のDNAを特定できないということで、15日から神戸大学に入院。この時新しい金属製のステントと入れ替えをします。24日に退院。
入院し、検査するたびに体力が落ち、おなかも痛くなり、きつい薬を飲むようになり便秘になったり下痢をしたりでますます弱っていきました。
家に帰ってからも食欲がなく、12月6日の低侵襲の診察で癌のDNAが分かるのですが、最新の抗がん剤が使える型ではなく、従来の抗がん剤しか使えないが、こんなに弱っているので寿命より抗がん剤で死んでしまうので抗がん剤もやめた方がいい。在宅かホスピスで終末期医療をということになりました。
入院は嫌なので家でということで在宅医を紹介していただき、低侵襲はここまでで終わりとなり、家での治療となりました。
私たちとしては何か方法があるのではと民間療法を試したり、温熱療法ができる新大阪の山下医院に行ったりしましたが、金属製のステントが入っているため温熱療法ができなかったのです。しかし、山下先生のお話と励ましで元気をとり戻し生きる意欲が少しは湧いてくる夫でした。蓮見ワクチンも打ったりしました。しかし、食欲もなく、水も飲めない状態ではどうしようもなかったです。わかった時に、早い段階で山下先生のところに行っていればどうにかなったかもと後の祭りですね。
在宅医や看護婦の方は楽に死ねるようにとのことだけに傾注。そうなると私たちもだんだん死ぬことだけを意識するようになっていきますね。
最後は夫が「トイレ、起こして」というのでベッドから起こしてそのままずるずると滑り落ち、動かなくなってしまいました。
息子と抱きかかえベッドに寝かせ、医者に電話をして、朝まで医者の到着を待ち、死亡を確認。
親戚や夫の友人、寺に連絡し、葬儀の準備を進めました。
たった4カ月半でしたが、いろいろなことが分かった日々でした。
*癌のDNAを調べてそれに合った抗がん剤が開発されていること。型がぴったり合うと癌がぱっと消滅するらしい。
*なぜ癌になるのかという理由(山下先生の話が秀逸)
*朝食にパンはやめた方がいい
*パンは国産小麦の天然酵母のもの以外は食べない
*肺線種癌の場合たばこが原因ではない
*気の持ちようが大事だということ
*在宅で看護できるけど、その時になって在宅医契約を交わすより、普段からのかかりつけ医を持っていたほうがいい
*低侵襲がんセンターはとっても雰囲気が良く、先生も優しかった
*神戸大学は大学病院なので先生も看護婦さんも忙しそうで患者に寄り添うというよりも病気を見ているだけで白い巨塔
*夫は初めから覚悟はしていたが、治せるものなら治したいと痛みをこらえて麻薬を多くしなかった
*腸はとっても大事
などなど
葬儀から四十九日迄の7週間は時間の流れが本当に遅く感じられる毎日でした。
夫は悲しんでいる私より、自由に好きなことをしている私の方がいいだろうと遺影に向かって、おはよう、コーヒーどうぞ、お茶どうぞ、ご飯どうぞ、行ってくるね、留守番頼むよ、お休みと語りかける毎日です。
無口な夫だったので、「お父さんいなくても、あんまり変われへんね」と息子と話すのですが、いてくれる安心感はやっぱり違います。
夫婦って、お互いの空気みたいな存在が大事なんだと思います。
葬式の時、焼き場までオートバイの仲間が霊柩車の後に続き一緒にツーリングで送ってくれたこと、生前の話を一杯聞かせてもらえたことなど友達っていいなぁと思います。
夫が亡くなったことを連絡できなかった皆さん、ごめんなさい。
夫はいないけれど、新しい一歩を踏み出しています。
今後とも、いろいろ誘ってください。
無理難題を言っても協力してください。
よろしくお願いいたします。
posted by m_ochiai at 01:25| 兵庫 ☁|
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