2023年08月11日

何故「人命は地球より重い」のか?

無差別殺人や戦争、そして自死など人命を省みない行動が増えているのは残念でなりません。

よく世間では、「人命は地球より重い」と言いますが、どうして人命はそんなに大切なのかときっちり説明できる人は少ないのではないでしょうか?

「人命は地球より重い」のか、人間に生まれてきたことがどうして尊いのか、人間に生まれてきた目的を教えられたのが仏教です。


お釈迦さまは、
「人身受け難し 今已受く
仏法聞き難し 今已聞く」
と説かれ、

「盲亀浮木の譬」で
「盲目の亀が100年に一度海上に浮かんでくるときに波間に浮かぶ丸太の小さな穴に首を突っ込むことはあるか」と弟子の阿南尊者に尋ねられました。
「そんなことはまずないでしょう」と阿南尊者は答ますが、
お釈迦様は「絶対にないと言えるか」と重ねて尋ねられます。
「それた、絶対にないとは言えませんが有難いことです」と阿南尊者は答えられました。
お釈迦様は「人間に生まれることはそれぐらい有難いことなのだよ」と説かれました。

「有難い、有難う」はここからきた言葉なんですね。

また、中国の人たちから小釈迦と尊敬された源信僧都は、
生まれがたい人間に生まれたことの喜びを、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の苦しみと比べて次のように説かれています。

「まず三悪道を離れて人間に生まるること、大いなるよろこびなり。身は賤しくとも畜生に劣らんや、家は貧しくとも餓鬼に勝るべし、心に思うことかなわずとも地獄の苦に比ぶべからず。」(横川法語)と教えておられます。


では、生きて何をするのでしょう。

私たちは生まれると同時にどう生きるかしか考えていません。どう生きるかに一生懸命です。

お釈迦様は、どう生きるかも大事だが、
生きる目的は何か、何のために生きているのかをはっきりさせないとどう生きるかは無駄になると説いておられます。

お釈迦様の一切経は、人間に生まれた目的「なぜ生きるか」これ一つを教えておられます。

なぜ生きるかは、人間が考えても分からないことなので、多くの人は、不安なまま見ないようにしてきています。

だからこそ、お釈迦様に教えていただきましょう。

しかし、お釈迦様の教え、仏典は7000余巻もありますので、これを読み破ることは難しいです。

難しいその経典を何回も読み破られて、お釈迦様の教えをそのまま伝えられた人がいます。
その人は、親鸞聖人で、なぜ生きるかの答えを教えておられています。

親鸞聖人は、お釈迦様の一切経は「南無阿弥陀仏」これ一つを説かれたものと言われています。

「一切の聖教というも ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんが為なり」(御文章)蓮如上人

「南無阿弥陀仏」と申す文字はその数わずか六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり。」(御文書)

「南無阿弥陀仏」の六字には私たちを絶対の幸福にする働きがあり、人間に生まれてきた目的は「南無阿弥陀仏」を頂いて絶対の幸福になり、極楽往生することにあると説かれています。

ですから、「南無阿弥陀仏」を頂いて絶対の幸福になりましょう!

しかし、お釈迦様も言われている通り「仏法聞き難し」ですから「そんなこと信じられない」と思われるでしょう。

そこで、お釈迦様は「仏説阿弥陀経」の中で
「大宇宙の沢山の仏様(十方諸仏)のお名前をあげて、この仏様方がその地で『阿弥陀仏の本願』を説いて間違いない間違いないと言われている」と大宇宙の諸仏を保証人として教えられています。

「利他の信楽うるひとは 願に相応するゆえに
教と仏語に従えば 外の雑縁さらになし」(高僧和讃)親鸞聖人

他力の信心を戴いた人は、阿弥陀仏の本願に相応するから、釈迦の教えと諸仏方の言葉に従えば、碍りが碍りとならない信楽(大満足・大安心)を得ることができると言われています。

その身になるまで、仏法を聞かせていただきましょう。


posted by m_ochiai at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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