いろいろな苦しみが押し寄せてきます。
今日は、菊谷隆太先生のメルマガから「愛別離苦」をご紹介します。
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仏語ってすごくいろいろなことがなるほどと分かりますよ。
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【今日の仏語】は『愛別離苦』の1回目です。
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仏教に説かれる八つの苦しみの一つに「愛別離苦」があります。
愛する人と別離しなければならない苦しみのことです。
愛する人、愛情を持って接している大切な人とも、
私たちはいつか必ず別れていかなければならない時がきます。
その時に感じる苦しみが「愛別離苦」です。
仏教に「会者定離」という言葉があり、
どんな人でも会った以上は、いつかは別れていかなければならない、
と説かれています。
別れねばならない人が、あなたにとって嫌いな人なら、
苦しみはないですし、
何とも思わない人だったら、別れるとなっても
まだそんなに寂しくもつらくもないですが、
別離する人が愛する人、自分にとってかけがえのない人だった場合は、
その現実は大変苦しいものになります。
それでもまだ愛する気持ちがそんなに強くない場合は、
別離があってもなんとかその苦しみは耐えられるのですが、
愛する気持ちが強かった場合、
ぞっこんこの人のために、と思って生きてきた最愛の人、
あるいは自分の身を削って育ててきた子供を失ったとなると、
その苦しみは言葉になりません。
愛する気持ちが大きければ大きいほど、
失った時の苦しみや悲しみは大きいのです。
長く生きていれば人は、
生き別れ、死に別れ、いろいろ経験しますが、
どうしても離れたくない愛する人と、
無理やり引き裂かれるように別れていかねばならない苦しみは
とても耐え難いものがあり、
その苦しみを親鸞聖人は
「会者定離 ありとはかねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりけり」
と詠われています。
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転載ここまで=========
私も、両親や兄弟、友人との死別に悲しみ、
そして夫との死別がなかかな認められなかったのです。
私の最後の世話をして看取るからと言っていたのに、どうして先に行くの!
と怒り、
どこに行ったの!
と探し求め、
あんなに頼りにしてくれていたのに、何もしてやれなかった
と後悔。
この思いを客観的に見せてくれたのが仏教です。
後生の一大事を解決するまで聞きぬかせていただきたいと思います。
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