2022年12月19日

反撃能力で国は安全か?

政府は16日の臨時閣議で、「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」の3つの文書を決定した。

この文書には、敵のミサイル発射基地などをたたく「反撃能力」を保有することを明記している。

「反撃能力」はこれまで「敵基地攻撃能力」とも呼ばれてきたもので、言葉を変えることによって、印象が随分違う。

多くの人はこれで日本の安全が高まったと思っていられると思うが、全く逆である。

そのことを考えてみよう。

以前、孫子の兵法の基本を書いた。
http://m-ochiai.seesaa.net/article/494591667.html

「孫子の兵法では「攻撃は最大の防御」(形篇)という。
その本当に意味するところは、「どう考えても攻撃できないぞ」と、敵があきらめるくらいの狡知に富んだ、頭のいい防御体制をつくっていくということ

1.平和憲法を破棄、軍事力強化。
「アメリカの敵は日本の敵(集団的自衛権)」米国を後ろ盾に近隣国と対立を続け、自国もミサイルなどの攻撃的武器を強化する国と国民
2.平和憲法を遵守、平和省を創設。
自国の自立と世界の飢餓貧困、環境破壊、災害や感染症などに対して、国家として支援活動に力を入れ他国に信頼される国と国民

1と2どちらが平和力が強いのか一目瞭然。」と書いた。


ではもう少し深堀してみよう。

戦略の基本はまず、相手との力関係の比較から始まる。
「孫子」の兵法を見てみよう。
 『用兵の法は、十なれば則ち之を囲む。五なれば則ち之を攻む。倍すれば則ち之を分かつ。敵すれば則ち能く之と戦う。少なければ則ち能く之を逃る。若かざれば則ち能く之を避く。故に、小敵の堅なるは大敵の擒なり。』
「軍隊を運用する時の原理原則として、自軍が敵の10倍の戦力であれば、敵を包囲すべきである。5倍の戦力であれば、敵軍を攻撃せよ。敵の2倍の戦力であれば、相手を分断すべきである。自軍と敵軍の兵力が互角であれば必死に戦うが、自軍の兵力の方が少なければ、退却する。敵の兵力にまったく及ばないようであれば、敵との衝突を回避しなければならない。
 だから、小兵力しかないのに、無理をして大兵力に戦闘をしかけるようなことをすれば、敵の餌食となるだけのこととなるのだ。 」
(参考) https://www.kazuhiro-nagao.com/suntzu/boukou.html

第二次世界大戦でもそうだ。ハワイの奇襲攻撃後の悲惨な終戦は、当時の人々をして二度と戦争はしない、軍隊を持たないと憲法で誓ったのだ。

省みて現在、中国、北朝鮮は大量のミサイルと核兵器を保有している。
日本がいかに防衛費を増額しても、このバランスを近づけることすらできない。


最近のウクライナ戦争を見てみよう。ウクライナはクリミア大橋の爆破に成功したが、これを契機にロシアは電力、その他のインフラを爆撃した。12月のドローンでの攻撃も、さらにロシアのインフラ攻撃を激化させた。
ゼレンスキー大統領は、NATOに緊急支援を求めているが終わりは見えない。

つまり「敵基地攻撃」や「反撃」が仮に成功してもそれが終わりではない。

そこから新たな戦いが起こる。


日本が中国や北朝鮮に「敵基地攻撃」という反撃をしたら中国や北朝鮮の軍備を一掃できるとでも思っているのであろうか。
中国や北朝鮮は「ごめんなさい。もう致しません」とでもいうと思っているのか。

やられたらやり返すという、己を知らず敵を知らない、感情的な方法では日本の国は守れない。

それが今の岸田政権だ。

孫子の兵法のどこにも岸田政権のやろうとしていることを是とするものはない。


posted by m_ochiai at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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